2 広島 原爆ドーム 宮島 厳島神社 尼の洲 二位尼灯籠 康頼卒塔婆石 康頼灯籠 高舞台 清盛神社 経塚 清盛塚 後白河法皇行幸松

 1992/11/28 作成 2003/05/18

能舞台の名所・旧跡へ


 

 夕べ遅く広島に着き、1泊した朝、平和記念公園の資料館に寄り、保管されている資料をじっくり見せて貰い、原爆ドームも初めてこの目で確認した。

 電車で宮島口へ、船に乗り継ぎ宮島に到着。

 上陸して桟橋を上がった広場に、「尼の洲」、二位尼灯籠があった。清盛の妻で、安徳天皇の祖母の二位尼が、安徳天皇を抱いて入水した。その尼の遺体がここに流れ着いたと言う。
 厳島神社に入り、回廊を行くと、左に「平康頼卒塔婆石」がある。満ち潮で海の中にあったが、干れば、地面が現れる。

 平家転覆を謀り、鬼界ヶ島に流された、康頼は、卒塔婆を沢山造り海に流した。その内、1本がここ宮島に流れ着き、老母、妻子の元に届けられた。老母達の嘆きが法皇にも伝わり嘆かれ、又、清盛にも伝わり、哀れんだそうだ。その後、中宮の妊娠があり、許され帰る事となる。

 「康頼灯籠」もあった。康頼が無事帰洛した歓びのお礼に厳島神社に奉納した物だそうだ。
 本殿正面に「高舞台」。向こうに海の中の大鳥居が見える。優雅な舞楽が行われた事だろう。能舞台は、台風で壊れ綺麗に撤去してあった。
 西松原に「清盛神社」あり。粗末であるが、今まで、よく残っている。出雲大社しかり。これが日本の文化なのかもしれない。
 この神社の山側の丘は、「経ノ尾(きょうのお)」と言い、清盛が一族繁栄を祈願して一字一石経を埋めたと言われている。ここに経塚があり、「清盛塚」とも言われている。
 枯れた「後白河法皇行幸松」があった。平家とは、対立する事になるが、まだ仲のよい頃、厳島詣でをしたのだろう。
 

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