13 鞍馬寺 三千院 寂光院 頼政塚

1994/03/26,1996/04/21 作成 2003/06/12

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 鞍馬寺お参り。義経、牛若丸の育ったお寺である。謡曲「鞍馬天狗」に、「鞍馬の山のうず桜手折枝折をしるべにて・・・」と言う言葉が出てくる、「うず桜」は鞍馬の特殊な種とも言われている。本堂の前 の背の低い桜がそうであった。
 階段の途中に、義経公供養塔があった。東光坊跡と言われ、牛若丸が住んだ所と言う。ここから、奥の院に毎日通って修行した。
 大原の三千院をお参り。最澄が比叡山の開創に際し、東塔南谷梨の大木の下に住房を置いて、一念三千院、または円融房と言ったのが始まりだそうだ。よい庭だった。
 草生(くさお)の寂光院へのゆるい石段を登り、お参り する。聖徳太子が父親の用明天皇の菩提を弔うために創ったお寺との事。

 平氏が滅び、建礼門院が出家し、寂光院に入った。翌年、怪物、後白河法皇が御幸している。平家物語では、建礼門院は36歳で死去しているが、六十何歳まで生きたとか、寂光院にはそう長く居らず別の所に移ったとも言われている。資料が極めて少ないので正確には判らないのである。謡曲「大原御幸」がある。

 寂光院の隣に、「高倉天皇皇后徳子(のりこ) 大原西陵 宮内庁」 のお墓があったが、此処に決めたのは明治になってかららしい。正確な墓地は不明という事になる。
1996.4.21 亀岡市矢田へ頼政塚を尋ねた。
 京都で山陰線に乗り換え、JR亀岡駅へ。バスに乗り、頼政塚前で降りた。

 源頼光の玄孫源頼政は弓が強く鵺退治して、矢田の地を貰う。余り恵まれず、最後は、以仁王を説き、平家と戦うが、宇治の平等院で自刃した。家来がその首をこの地に葬ったと言う。

 

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