16 兵庫 多田神社 昆陽の池 鵺塚 公光橋 業平別荘の址 猿丸家墓地 阿保親王墓 大物主神社  大物の浦

1996/07/21 作成 2003/07/18

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 川西市は、私の長男が下宿し学校へ通った所。迷惑がる息子の所に、何度か押しかけたが、その時は、多田神社 等の謡蹟は知らなかった。改めて尋ねている。
 多田神社お参り。源満仲をはじめ、頼光、頼信、頼義、義家をお祀りしていることから、源氏発祥の地と言われている。満仲は、多田に住んだので、多田源氏と言われるようになった。多田は^名川に沿った、 堆積した平野から丘陵地帯に掛かる辺りにある。神社の前には、^名川に架かる朱塗りの御社橋がある。
 大阪空港の西、伊丹市の昆陽(こや)の池を尋ねた。昆陽は歌枕として知られていた。
 西宮の西宮神社をお参り。戎(えびす)さん。商売に御利益のある神様である。謡曲「雲林院」に「芦屋の里を立ち出でて、われは東に赴けば。名残の月の西の海汐の蛭子(ひるこ)の浦・・・」とある。 蛭子の浦が西宮の浜である。
 芦屋の芦屋公園に鵺(ぬえ)塚が あった。大阪の下町商店街にも、鵺堂があった。鵺は伝説上の怪獣だ。頭は猿、胴は狸、尾は蛇、手足は虎、声はトラツグミに似ていたと言う。源頼政が紫宸殿で退治している。
 芦屋に、芦屋川に架かる公光(きんみつ)橋、公光町と言う地名がある。芦屋公光は謡曲「雲林院」のワキであり、伊勢物語をよく読み込んでいた人。ただし、創造した人物である。
 公光橋の1つ上流の業平橋の角に市民センターがあるが、その附近が業平の別荘址との事。

 芦屋が業平と深いゆかりを持っていたことは「伊勢物語」にあり、芦屋の里に別荘があった。そして、この芦屋で浜の美しい娘を愛し、歌日記とも言う「伊勢物語」を残した。

 芦屋神社お参り。境内に猿丸太夫の五輪塔があるとの事。又、近くには猿丸家の現代のお墓群があった。

 猿丸を姓として称する人は多いらしいが、猿丸太夫は、全く伝説の人で確かな事は判らないそうだ。

 芦屋の阿保親王塚お参り。在原行平、業平兄弟の父親。平城天皇の子である。宮内庁管理で、阿保親王墓と表示してあった。
 尼崎市大物町の大物主(おおものぬし)神社お参り。謡曲「船弁慶」で、義経は静御前と別れ、ここ大物(だいもつ)の浦から船出するが、俄に荒れ出し、平知盛の幽霊が襲ってくるが、弁慶が祈り伏せ無事出航する、すじである。公園に大物橋跡の石碑があった。 
 

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