3 三重 山辺之井 石薬師 蒲桜 加佐登神社 荒神山

1993/03/22 作成 2003/06/01

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 「田子の浦ゆ打ち出て見れば真白にぞ富士の高嶺に雪は降りける」の作者、山部赤人の終焉の地の屋敷跡と言う、三重県鈴鹿市山辺町の「山辺之井」を尋ねた。赤人は、素性の判らない人。下級の役人だったらしい。藤原氏にも、繋がりはあるようだ。現地には、説明看板はなかった。
 東海道53次の石薬師宿の石薬師寺と御曹司神社をお参り。御曹司神社は、頼朝の弟、蒲冠者範頼を祀った神社。願望成就の神さんと崇められている。蒲冠者が平家追討を祈願し、桜の鞭を逆さに挿したところ根付き、蒲桜(がまさくら)と言われている。
 鈴鹿市加佐登町の加佐登神社をお参り。日本武尊が、伊吹山で鬼退治して怪我をしてここに着いて、ここで死んだ。古墳があり、今、白鳥陵と言われている。日本武尊が持っていた笠と杖をお祀りしたのが、この神社との事。
 荒神山観音寺お参り。真言宗のお寺である。が、「荒神山の血祭り」の方が有名だ。

 博徒、神戸(かんべ)の長吉と桑名の穴太徳(あのうとく)が、ここで喧嘩した。穴太徳に縄張りを奪われた長吉は吉良の仁吉に救援を求めた。清水(次郎長)一家22人も仁吉に加勢し、荒神山に乗り込んだ。仁吉はここで死んだ。

 次郎長は憤慨し大動員し、穴太徳に再び挑むが、穴太徳が恐れ、和議成立。これ以来、「清水次郎長」の貫禄は増し、その名は全国に知られた。

 

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