15−3 静岡 奥野狩場 伊豆山神社 斎藤実盛墓 日金山東光寺

1994/04/03 作成 2003/06/13

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 伊東市の山の中、奥野狩場を尋ねたが、場所の確定は出来なかった。奥野ダムがあった。奥野は、曾我兄弟仇討ちの発端の地である。

 曾我兄弟の父の父、祖父は、嫡孫の河津祐親(すけちか)に河津を、継娘の子、工藤祐継(すけつぎ)に、本領を継がせた。祐親は、嫡孫の自分が本領を継がなかった事に不満を持っていた。その後、祐継は病気で死ぬが、息子の祐経(すけつね)が幼かったので、祐親に頼んだ。祐親は祐経には、何も渡さず、本領を横領した。そのため、祐経の郎党、大見小藤太、八幡三郎が、祐親を襲うが、祐親は傷を負うが、その子、曾我兄弟の父、祐泰(すけやす)が死んでしまう。 曾我兄弟の仇は、祐経である。

 また、ここは祐泰が俣野五郎と相撲を取り、「河津掛け」で負かした所とも言う。祐泰は「豪勇を以て鳴り、伊豆・相模の間に比肩する者なし」と言われた。

 熱海駅の北、山に入った所の伊豆山神社お参り。頼朝と政子のロマンスの地である。長い石段がある。境内に頼朝政子の腰掛石があった。石橋山で頼朝が負けた時も、政子はここに身を潜め頼朝の安否を案じていたそうだ。
 伊豆山岸谷の斎藤実盛の墓をお参り。道に面して沢山の五輪塔の中にあった。実盛は故郷の加賀の篠原で死んだが、余りにも遠いので、実盛の子達が伊豆山に墓を建てた。最後まで平氏について覚悟の若造しての戦死であった。板東武者の鏡として人気があった。
 箱根十国峠にある、日金山東光寺(ひがねさんとうこうじ)をお参り。俣野五郎の墓があると聞いて、探してみたが見つからなかった。俣野五郎も最後まで平氏に付き、加賀の篠原で戦死している。
 

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