21 兵庫 求女塚 生田神社 生田の森 布引の滝

2001/07/08

能舞台の名所・旧跡へ    


 

 謡曲「求塚」、万葉集「うない乙女」の跡を探しに神戸の町を歩いてきた。以前、今日尋ねる3箇所のうちの1つには行っている。行ってみればどれか分かるであろう。

 万葉集には、1人の乙女に2人以上の男が思いを寄せたので、苦しんで死んでしまう話が、2つあるそうです。1つは、関東の真間(まま)の手児奈(てこな)と神戸の菟原処女(うないおとめ)だ。うないは土地の名。菟原処女は生田川に身を投げ、残った男二人も後を追った。

 また、大和三山(畝傍山が女 香具山、耳成山が男)の妻争い。松浦佐用姫(まつらさよひめ)の領巾(ひれ)振りの話などがある。

 JR住吉駅下車。阪神住吉まで歩く。幼稚園の際にあった。「東求女塚古墳」として説明文があった(呉田 (ごでん)の求塚 東の位置)。この古墳も地元の有力者のお墓が本当の所らしいが、昔から、求女塚と言われていたようです。きれいに整備された公園になっていた。 すぐ南は阪神高速あり。この少し東の深江南町付近は、この前の地震で500mほど倒れたところ。今は、地震の跡は目には、分からなかった。

 阪神石屋川駅近くの御影町東明 (とうみょう)の「処女塚古墳」まで阪神高速沿いに歩く。 古墳の盛土がそのままで、その上を含めて公園になっている。福麿(さきまろ)の歌碑があった。ここが以前来た事のある乙女塚だった。

 「古のしのだおとこの妻問いし うないおとめのおくつきぞこれ」 昔のしのだおとこが妻にしようとしたうないおとめの墓はここである。

 石屋川から西灘駅まで電車に乗る。都通(味泥町 (みどろ))の「求女塚」。ちょうど工事中であり、古墳全体は図りかねた。古墳の調査のようであった。呉田と味泥が男の塚で、真ん中の東明が女の塚としている。

 すでに、万葉集の時代にそのように扱われていた。このような扱いを見ると、これが日本だと言う感じを強く思う。

 三宮に出る。生田神社をお参り。

 謡曲「箙」(えびら 矢をさした入れ物)で、梶原景時、景季親子がここ生田の森で奮戦する。そのとき、景季が箙に梅を刺して戦った。その梅ノ木が、本殿の隣にある。

 本殿の裏に生田の森がほんの少し残っている。

 地下鉄で新神戸へ。新幹線の駅の下を潜り、山に入る。生田川に沿って登る。断層の説明看板がある。神戸は地形から見ても、断層だらけの土地のようだ。

 雌滝、鼓滝、夫婦滝を見る。登山道には、平安時代からの歌人の歌の石碑が、沢山あった。昔から遊びの土地だった。

 帰りは、北野の町を通り、三宮まで歩いた。

 

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