12 常寂光寺 西行井戸 去来墓 二尊院 祇王寺 滝口寺 化野念仏寺 清涼寺 源融墓 広沢池 千代の古道  大覚寺 夕霧の墓

1993/11/10 作成 2003/06/09

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 嵯峨常寂光寺お参り。常寂光寺の藤原定家の時雨亭跡を尋ねた。紅葉が綺麗なお寺だ。裏山が小倉山、定家、西行らが住んだ所。昔は、逃げ込んだり、隠れたりした土地、淋しい田舎だったはずだ。
 西行井戸、去来の墓あり。歌碑、句碑が立ち並んでいた。
 二尊院お参り。どうしたわけか、紅葉の写真のみ。二尊院の時雨亭跡は、1度行っているので、どこかに写真があるはずだ。今回は無し 御免。
 祇王寺お参り。祇王、祇女、その母の墓、清盛供養塔もお参り。仏御前も後から押しかけてきたと思った。隣の滝口寺もお参り。 滝口の武士と横笛の悲恋物語のお寺であったが、明治に入り、廃絶してしまった。
 化野念仏寺お参り。 石仏石塔のお寺さん。ここも葬送の地だった。
 清涼寺釈迦堂お参り。源融の山荘跡。融の墓もある。また、「生の六道」の石碑があり、小野篁が冥途からこの世に帰る道だそうだ。小野篁は、嵯峨天皇に仕えた役人であったが、夜になると東山の珍皇寺に今でも現存する井戸から冥途に向かい、閻魔大王の役人として裁判にあたったそうだ。朝になると今度は上嵯峨、あったという井戸からこの世に戻り、役所に出仕したそうだ。その井戸が「生の六道」。
 謡曲「百万」では、嵯峨大念仏狂言で子を探す狂った母親が子供と出会い、郷里奈良に帰る話である。今も、この狂言堂で、喋りのない狂言が毎年行われる。
 大覚寺の隣に広沢の池がある。桜の名所である。昔から潅漑用の池だった。ここにも「千代の古道」の石碑があった。
1996.4.7 嵯峨狂言を見に来て、少し周辺を歩いた。
 大覚寺お参り。広沢の池を見る。
 清涼寺の裏の夕霧の墓をお参り。
 

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