6 人麿歌塚 在原神社 山辺の道 檜原神社 玄賓庵 三輪明神 耳成山 香具山 畝傍山 三山 1994/08/15、1995/05/06 作成 2003/06/21
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柿本人麿は、万葉集以外に資料がない。生没年も不詳、大和で生まれ、鳥取県石見で死んでいる。天理市の櫟本(いちのもと)は人麿が生まれた土地と言われていて、柿本寺(しほんじ)跡の看板があった。
治道山柿本寺は、治道の森のほとりにあって柿本の氏寺であった。ここに柿本氏の出である歌聖柿本人麿の遺骨を葬ったので、人麿崇敬が盛んになるにつれ、歌塚として有名となった 。 |
歌塚の際を流れる、高瀬川の向こうに、在原神社がある。お参り。
在原寺と刻んだ石柱があり、昔は、お寺だったと言う。業平が紀有常の娘と住んだ所で、業平は、ここから河内の高安に通ったんだ。その生活は謡曲「井筒」に詳しい。 |
夫婦竹、一叢(ひとむら)すすき、筒井筒あり。井筒は、井戸の回りを木、石などで囲うもの。 |
ここから、桜井まで、山辺の道が残っている。道の途中の人麿の歌碑。 |
三輪の檜原神社お参り。謡曲「三輪」に「三輪の山もと道もなし。檜原の奥を尋ねん」とある。万葉集には「三輪の檜原」と詠われ山辺の道の歌枕になっている。
「三輪鳥居」と言う変わった鳥居がある。鳥居の中に格子がはまっている、大神神社にもあるが見られないようだ。 |
玄賓庵お参り。玄賓は南都第一の碩徳(せきとく)であったが、遁世の志深くここに草庵を結んだ。
謡曲「三輪」のワキである。9世紀の人。横暴な奈良の寺に愛想が尽きた。 |
狭井(さい)神社お参り。ここから三輪山に登ることが出来る。 |
三輪明神お参り。裏の山、三輪山そのものがご神体だ。大和朝廷がはっきりする以前の古い時代の神社。
己の神杉(おのかみすぎ)あり。根本に蛇が住んでいたそうだ、雨乞いの杉だった。 |
大和三山の内 耳成山を遠望。 香具山を遠望。 畝傍山を遠望。
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95.5.6 三山を藤原京から撮ってみたので、追加する。(追加 03/07/03)
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