13 木曽福島 宮ノ越 薮原  長野

20km   1996/11/17  作成 2003/03/26

中山道へ

20 長野 手習天神 林昌寺 徳音寺 旗上げ八幡宮 南宮神社 巴が渕

1996/11/17

能舞台の名所・旧跡へ


 

 JR木曽福島駅から歩く。

 福島関所跡。資料館があったが、素通りする。

 写真の正面の門が、西門で、幅2間あった。国道の拡幅で、この道が削られ狭くなっている。

 手習天神お参り。 木曽義仲を養育した中原兼遠が、義仲の学問の神様として勧請したとの事。

 兼遠の子が、今井兼平で、義仲の家来となり、近江粟津原で、主従とも、自刃する。

 謡曲「巴」、「兼平」、「木曽」などで活躍する、木曽義仲、今井兼平の故郷。

 上田の 集落は、その中原兼遠の屋敷があった所で、 中三権守兼遠塚があった。

 原野の国道際に、小沢川古戦場の説明があった。武田信玄が木曽を攻めた時、福島の木曽氏が戦った所。最後は、信玄に下った。

 中山道の中間点の標識が建っていた。京へ67里38丁とあった。

 林昌寺お参り。中原兼遠の墓がある 。

 徳音寺 、禅宗のお寺さん、義仲、巴、小枝、兼平の墓があるとの事。お参りする。隣に近代的な義仲館があった。

  旗上げ八幡宮お参り。 ここは義仲の屋敷跡であり、八幡宮を祭った。ここで元服し、平家打倒の旗上げをした。樹齢800年の大欅があった。

 南宮神社お参り。義仲が勢力を張った頃、昔からあった社に、近江の南宮神社を勧請したものとの 説明があった。正直な説明でありがたい。

 木曽川が山に突き当たり大曲する所に、巴が渕。木曽川が巴状にうずまくため,巴が渕と名付けられたとの説明があった 。少し水が淀んでいた。周辺は小さな史跡公園になっており,トイレや飲み物の自販機があった。

ここから薮原まで、両側に山の迫り、国道は曲がりが多く、JRはトンネルで、峠が近い様相になってきた。

 

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