10 落合 馬籠 妻籠 三留野  長野

25km   1996/10/06

中山道へ


 

 JR落合川駅から歩く。落合宿も本陣跡、脇本陣跡、常夜灯があるのみ。本陣は立派な門構えの家だった。
 いよいよ信濃、木曽にはいる。山道を登る途中に、医王寺があった。少し寂れた様子だったが、昔は、山中薬師、やくし堂と言われ、狐膏薬を売っていたので有名だったらしい。切り傷、痛み治しの 塗り薬。

 境内に、芭蕉の句碑あり。 「梅が香にのつと日の出る山路かな」

 この先に、落合の石畳の道。石があると雨上がりなど楽に歩けるが、その維持が大変と思われる。修繕する人がいたと言うことだ。
 国境の新茶屋。新茶屋の一里塚あり、また、芭蕉「送られつ送りつ果は木曽の秋」の 句碑あり。又、「是より北 木曽路 藤村老人」 の石碑。昭和に入って作ったものとのこと。
 いよいよ、馬籠宿。藤村の馬籠で、すっかり観光地となっている。昔の道と建物で助かっている、日曜日で人が多い。

 馬籠を出て、なお、登ると、清水の立場。水車塚、道祖神、十返舎一九の句碑があった。

 少し行くと、峠の集落。牛荷を扱う人達の 集落、「夜明け前」にも出てくる集落 とのこと、本は読んだが、覚えがない。その頭、牛行司今井仁兵衛を讃えた、峠の御頭頌徳碑あり。

 馬籠峠を越える。

 子安観音、一石とち茶や、白木の番所跡あり。番所は檜製品の取り締まりをやったとのこと。
 男滝、女滝と名の付いた、滝あり。昔は見事なる滝だったようだ。
 倉科祖霊社の祠があった。秀吉の時代に、松本の小笠原氏の重臣、倉科七郎左衛門が主人の命をうけ、大阪に出向く途中、ここで殺され荷物を奪われた。その後、地崩れなどがあったので、祟りを恐れ、祠を建てた。日本は、祟りの世界だ。
 妻籠宿。ここもえらい人出。脇本陣の立派な門と建物があった。藤村の「まだあげ初めし前髪の・・・」の幼馴染みの嫁いだ家だそうだ。郷土館として開放されている。中には入らなかった。
 妻籠の北外れに、形、鯉に似たる岩ありの鯉岩あり。濃尾大地震で転倒してしまい昔の姿はないらしい。

 左の山には、妻籠城趾。蛇石(へんびいし)。上久保の一里塚を過ぎ、神明神社お参り。

 大きな立派な、巴御前のふりそで松が道際にあった。

 三留野宿のJR南木曾駅で電車に乗る。

 

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