4 醒井 柏原 今須 関ヶ原  滋賀

23km   1996/08/17

西行・一休など    中山道へ


 

 水の醒井から。

 泡子塚。西行法師がここの茶屋で休んだ時、茶屋の娘が、西行に恋した。西行が立った後、西行が飲み残したお茶を飲んだところ、懐妊し、男の子を産んだ。その後、西行が帰途、また、この茶屋で休んだ時、娘からこの話を聞いた。西行はこの子を見て「今一滴の泡変じて児となる。もし我が子ならば元の泡に帰れ」と祈り、歌を詠むと児は忽ち消えてしまった。

 西行は実に我が子なりと、石塔を建てた。これが泡子塚。また、傍らに、西行水と名の付いたわき水があった。

 十王と彫った石灯籠が水の中に立っており、十王水の標示。平安中期の天台僧が拓いた水源。十王堂にちなんで、付けられた。

 醒井延命地蔵尊をお参り。雨乞いのため、最澄が地蔵尊の像を刻み祈ると、忽ち雨が降ったとのこと。

 居醒めの清水。地蔵川の源流で、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が熱を出し、この清水により熱を冷ましたという湧水。日本武尊が腰掛けた腰掛け石、鞍を掛けた鞍掛け石。湧水している石が蟹に似た蟹石 、などあり。

 日本武尊は伊吹山の言うことを聞かない者どもを征伐に来て、病気になり、三重県で亡くなっている。

 湧泉の上に鎮座する、この地の生土神(うぶすなじん)と言う加茂神社をお参り。

 山東町に入り、のんびりした雰囲気の梓、長沢の集落を行く。

 柏原の手前に、北畠具行の墓があった。後醍醐天皇と足利尊氏の時代の公家。後醍醐天皇側に付き、捕らわれ、ここで殺された。護送人は、バサラ大名の佐々木道誉だった。
 その佐々木道誉一族の菩提寺、清滝寺徳源院をお参り。

 道誉桜あり。ひがんざくら。枝振りから、綺麗な花を付けるだろうと思う。春に見に来よう。

 柏原の宿。伊吹もぐさの里。伊吹山は薬草で有名。宿として栄えた頃は10軒あまりの薬屋があったが、今はいぐさ堂、1軒だけとなった。

 1804年の宿復元図があった。

 長久寺の集落は寝物語の里と言われ、歌に詠まれたり、広重の絵がある。近江と美濃の境は細い溝だったので、両国の家同士で寝物語が出来たとのこと。源義朝の常磐御前、義経の静御前も、隣家から聞こえる声から、家来らと巡り会ったとかの話が残っている。

 今須には、常夜灯、本陣跡があった。

 山中の集落で常磐御前の墓をお参り。義経の母親、常磐御前は、源義朝が平清盛に負けて、清盛の女となったが、義経が東に去った事から、後を追いかけたが、ここで山賊に襲われ死んだ。地元の人達が葬ったとのこと。
 山中の新幹線際に、川幅いとせばし、橋は黒血橋、川は黒血川という。壬申の乱で、大友皇子の近江軍と、大海人皇子の吉野軍の戦った所で、この川は血潮で黒々と染まったと言う。
 関ヶ原古戦場、大谷吉継の墓をお参り。

 西首塚をお参り。

 

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