7 鎌倉古道 湯坂道 浅間山 鷹ノ巣山 元箱根石仏石塔群 箱根関所跡   神奈川

21 km  2002/05/05

鎌倉街道へ


 

 湯本の町を抜け、旭橋を渡ると、すぐ左に湯坂道(鎌倉古道)、芦の湯 へ185分の石碑看板があり、そこに山に入る細い山道がある。今日は、ここから浅間山、鷹巣山、芦の湯、元箱根、関所跡を経て、箱根町までの予定。少し強行軍だ。

  しばらく急坂を登る。地図を見ると、少し先は、尾根沿いの道で割と緩やかな道らしい。ほとんど同じ時刻に20人位の中年の登山グループと一緒に登り始めた。30分ほどで緩やかになる。当たり前ですが地図通りである。

 そろそろ、20人はばらばらになり、私は、一時間に1度の休みで、息が切れずに登れるスピードで登る。何時もの登り方を守る。

 青葉がみずみずしく、鳥の声もしきり。ただ、見晴らしは利かない。下を通る箱根新道の車の音がよく聞こえる。黙々と歩く。

 2時間程で、送電線を潜る。あと少しで、浅間山。元気が出る。

 この尾根道は、割合に幅広く開けていた。それは山火事対策の防火線として尾根の木を切り払ってある為との事。

 江戸の東海道は、箱根新道沿いの谷伝い。それより前の鎌倉街道は、尾根道。鎌倉街道は水を嫌った道が多い。途中、湯坂城跡の看板があった。この尾根道沿って遺構が残っている らしい。

 鎌倉以前は、もっと北の足柄峠を越えたようだ。

 浅間山頂上。三角点があった。802.2m。湯本が100m。700m登ったことになる。ようやく見晴らしが開けた。ただし、周りの山々しか目に入らない。

 浅間山は、前鷹ノ巣山とも言われていたそうだ。また、鷹ノ巣城は、この山に在ったらしいとの事。秀吉の小田原攻めの時は在ったらしい。遺構が見つかっていない。

 鷹ノ巣山の最後の登りは急であった。2,3m登っては休みの連続。山頂は開けていた。昼食のお握りを食う。

 女性の1人登りがいた。しばらく世間話をする。

 2万5千分の1地図には、この山に、城跡の符号が付いている。 

 芦の湯に下る。1号線に出た。

 その際に、重要文化財箱根石仏、石塔群あり。多田満仲の墓、曽我兄弟の墓、虎御前の墓、魔崖仏、六道地蔵があり、展示館が出来ていた。以前は無かったのに、大きな駐車場も整っていた。

 お玉が池の際を通り、元箱根へ。賽の河原、杉並木を経て、箱根町バス停へ。

 箱根新道を通る湯本行きのバスに乗る。よく混んでいる。途中、停車せずに、あっという間に三枚橋。三枚橋から湯本駅までの方が時間が掛かったような気がした。

本日歩いた概要図

 

 

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