8 鎌倉古道 海の平 扇平 諏訪神社 山神社 元山中関所跡  静岡

21 km  2002/06/02

鎌倉街道へ


 

 三島市観光協会から、鎌倉古道の地図を貰って、そのルートを2万5千分の1の地図に写し取り、両方を持って出かけた。

 三島駅から箱根町行きのバスに乗る。国道1号線ルートであるが、旧の国道で、車の通る所は旧道を行く。バスを利用する人は、地元の人達が主のようだ。

 箱根峠手前の「カントリー入り口」で降りる。街道は箱根町から「海の平」を通るルートであるが、時間の都合で、少し省略。

 ゴルフ場を右に見て、車道を別荘地に向かう。途中、江戸の東海道を横断。東海道は、綺麗に整備されていた。1995年に、この道を三島から登ってきた。その時の道より良くなっていた。

 別荘地の南西の縁の道を辿りながら、送電線との距離が最短となる所を目指した。「推定平安鎌倉古道」石碑が道の際にあった。もう少しで見落とすところだった。すぐ、急な下り道となる。

 ここも、どちらかと言うと尾根道だ。黙々と下る。何も無い、林の中を行く。

 三島市の「復元された平安・鎌倉古道」の看板があった。

 平安時代は、足柄道であったが、802年富士山の噴火で、この道が開かれた。翌年、足柄道は復旧したが、箱根路は急坂であるが距離が短いので、江戸の東海道が出来上がるまで、よく使われたらしい。

 「十六夜日記」に「28日、伊豆の国府を出でて、箱根路にかかる。いまだ夜ふかかりければ、「玉くしげ箱根の山をいそげどもなほあけがたき横雲の空」、足柄山は道遠しとて、箱根路にかかるなりけり。」とあり、夕方、早川に着き、日暮れかかるに、なおとまるべき所とおし。手探りで、「酒匂(さかわ)宿」にようやく到着。阿仏尼は馬の旅であった。

 平成2年ゴルフ場建設に当たり、試掘したところ、中世の古銭、物が出てきて、古道が確認された、との説明があった。

 多分、道の古地図等の資料があって、間違いなくここだと確認されたことと思う。現地は草刈は勿論、道の整備が行き届いており、地元の方々の努力に頭が下がる思いだ。

 元山中集落に、諏訪神社、山神社があり、20軒ほどの農家があった。関所跡が判らず、地元の人に聞く。あの林がそれと教わる。

 「元山中関所跡」の石碑があった。

 昼食のお握りを食べ、歩き出す。若い人たちとすれ違う。鎌倉街道はこの道でよいかと尋ねると、もう一本上の道との事。後は、一本道で迷わないと教えてもらう。お礼を言い別れる。

 小澤集落を過ぎて、しばらく下ると、大きな橋の工事中で、回り道の看板があった。それに従って行くが、元の道に戻る気配が無い。地図と磁石で確認すると、西に向って歩いており、予定の道をすっかり外れてしまっていた。もうすぐ澤地集落。

 立派な車道に出た。三島駅まで、後1里。迷わず鎌倉街道を行っても、山田集落付近まで、団地となっていて、旧道の面影は何も無いようだ、と屁理屈をつけ、少し疲れたこともあり、舗装道路を行くこととした。

 駅に、4時着。約6時間の歩き。ゆるい下りばかりだったのの、少し疲れた。歳のせいかなと思う。

本日歩いた概要図

 

 

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