16 鎌倉古道 東光寺 鵜田寺 旗指 静居寺 求慶寺 天神の森 静岡 18 km 2002/08/14
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JR六合駅から東光寺へ。古里であるが初めての道、土地である。東光寺谷川に沿い上流へ舗装された立派な自動車道を行く。 1号線バイパスのインターチェンジがあり、東光寺集落はその奥。 又、今回気がついたが、川の名は、谷川でその頭に土地の名が付いている。大津谷川、伊太谷川などである。 先回、諦めた清水寺参道である山越えの東光寺側の道は、25000分の1地図通りの軽自動車が通ることの出来る立派な道が2本共あった。 東光寺。比叡山延暦寺の末寺で平安時代の創建だそうです。昔は何百かの建物のある大寺だったようだ。いまは地元の寺という感じである。毎年4月、猿面の民俗舞踊があるとのこと。 島田市野田への林道を登る。同じ峠越えでも、同じ市内ならば、道路が出来、違うと出来ないなどと、勝手に考えながら峠越え。30分程で野田。
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野田の薬師さん、鵜田寺。 島田髷、曾我兄弟の虎御前も関係あるお寺さんです。野田には古墳も沢山あるようだ。これも初めて知りました。 虎御前は島田髷を考案して広めた人のようです。毎年9月第3日曜日、島田髷祭りが行うとのことです。 山の南端の山裾を西に向かう。小さい頃、よく「はや」を釣った2〜3m幅の川に沿って旗指(はっさし)に向かう。コンクリートで固められた用水になっていた。水が濁り、魚がいるようには見えなかった。 所々に農家があったところが、文化住宅の宅地となっていた。家だらけで、周辺の景色も覚えている風景と一緒にはなりませんでした。 伊太村旗指は、謡曲「鉢木」の佐野源左衛門常世が、最明寺殿、北条時頼の供として諸国を回る内に、下野からここに移り住み付き、足利時代にも功績を挙げ、領地を安堵され、佐野一族で成り立った村。(伊太村故事記と言う古文書があるようです。)のようです。 江戸時代は、名主などになっていた。 島田市史などの資料の拾い読みのみでしたので、もう少し勉強してみたいと思っています。 |
旗差の静居寺(じょうごじ)もお参りしてみたが、佐野さんの標は見つけられなかった。静かな良いお寺だった。もちろん、ここも初めて。 大井川向こうの金谷には、志戸呂焼きがあるが、ここ旗指にも、古窯群が見つかったとのこと。これらは、瀬戸焼の系統だそうです。 静岡は、大和朝廷に反抗した出雲系、外来系の人たちのようだ。 私の爺さんの爺さんは、焼津の商人だったと、父親に聞いたことがあった。私も出雲系のようだ。 |
求慶寺をお参り。曹洞宗のお寺。佐野氏の標は発見できなかった。 |
ここから、低い山越えして、天神の森を目指した。結局、天神町はあったが、ここが天神の森と確認できなかった。 伊太村の法律、郷法=村決め=村極に、「致盗候者ハすまきに致 向谷水門山より大井川へ打落候郷例也」の条文があり、この通り行われたらしい。
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子供の時来たことがある、この水門山をお参り。 農業用水路には、すさましい水音をたて、大量の水が流れていた。子供時代に恐ろしい気持ちで見た水を、しばらく見ていた。 |
本日歩いた概要図
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