1 鎌倉 和田塚 鶴岡八幡宮  覚園寺 元八幡 来迎寺 6地蔵 和田塚  神奈川

18 km     2001/06/17

鎌倉街道へ


 

 東海道を歩いた時、時々、鎌倉街道と言う看板をよく見掛けた。また、我が家の近くにも、業平が馬から降りて乾飯を食べた所と言う街道がある。伊勢物語、十六夜日記も読んだが、その中の街道が鎌倉街道である。

 インターネットで鎌倉街道の本を探したら、鎌倉から、北、東方面の本は、少しあったが、京都方面は皆無。尾藤卓男氏の「平安鎌倉古道」を本屋で見つけ、少し勉強してみた 。道の相当部分が、すでに消滅しているようだ。又、市町村が、いろいろ調べて郷土史などに纏めてあるようです。

 尾藤氏の本を読んで、この道を歩こうと決めて、25000分の1地図に1本の道を記入し、その道を歩くことにした。多分、現地で修正が必要になるだろうが、決めないとどうしようもない。

 朝、1番電車に乗る。新幹線は、静岡でこだまに、小田原で東海道線に、大船で横須賀線に乗り換え、鎌倉9時半着。

 鎌倉駅前の大巧寺(だいぎょうじ)をお参り。頼朝の祈願所。産女霊神を本尊とする日蓮系の単立寺院のお寺さん。産婦の幽魂を鎮めたところから、俗に「おんめさま」 と呼び親しまれ、安産のお守りを出しているとの説明看板がありました。昔は、この辺まで、海が入り込んでいたようだ。

 若宮大路を北に。赤い2の鳥居をくぐり、参道を行く。道の両サイドは、政子の安産祈願のため、造らせた「段葛(だんかずら 2,3段の石積)」が続く。説明文に、明治に至り2の鳥居以南の形を失えり、とあった。
 3の鳥居をくぐり、池を渡り、 静が踊った舞殿を見て、朝が公暁に殺された注連縄をした大イチョウの横の階段を登り、鶴岡八幡宮の本殿へ 。今、「北条時宗」が放映されているが、頼朝の兄弟殺しからの鎌倉幕府の殺し合いを思いながらお参り。紋付袴、白無垢、角隠しの二人に出会う。お日柄がよいのかな?
 白旗神社をお参り。実朝の歌碑「山はさけ海はあせなむ世なりとも君にふた心わがあらめやも」を見 る。川田順「源実朝」を手に入れたので、これから実朝の勉強を始める(予定。出来るかな?)。

 鎌倉宮へ向かう。新しく作った神社だそうです。お参り。

 覚園寺。事前の勉強によると、毎時毎に案内付の拝観との事。次は11時。少し間がある。お寺までの坂道を両側の格好よい民家を見ながら、ゆっくり登る。 やはり、11時まで待てとの事。

 お坊さんの案内付。いろいろ話してくれたが、みんな忘れた。だだ1つ、覚えていることは、亡くなった人のお弔いは、49日までが本式で、その日までに、仏さんは、行き着くところへ、間違いなく到達し、俗界のコントロールの利かないことになるんだそうです。3年、7年、13年等は、江戸時代 、寺の収入増のため、考えだされたものとの事。どちらが本当か、私には判らない。

 いよいよ鎌倉街道と思われる道を歩くことにする。筋替橋まで戻る。この辺りが鎌倉幕府、執権の屋敷があったようだ。鎌倉武士の邸宅跡は、跡形もなく無くなってしまっている。どこも、推定の場所のような説明文が多い。

 青砥藤綱旧跡の碑を見て、東勝寺旧跡、最後の執権高時の切腹やぐらをお参り。ここでも一族郎党、集団自殺の場である。

 今、歩いている小町大路が鎌倉街道だ。両側のお寺の正門がこちらを向いている。日蓮聖人辻説法跡もあるが、人通りは極めて少ない。

 朝の大巧寺の南に本覚寺。日蓮の滞在した夷堂(えびすどう)の跡に作ったお寺との事。前の滑川に架かる夷堂橋。この橋を渡り、南下。

 横須賀線を横断する手前で、町屋址の石碑に出会う。鎌倉中心から、大分離れた場所ですが、商人の町。

 本興寺を過ぎて、由比郷鶴岡の元鶴岡八幡宮お参り。源頼義が初めて石清水八幡を勧請した所。住宅に囲まれた小さな祠だった。義家の旗立の松の切り株が屋根付、説明付きであった。頼朝が、今の場所に移した。

 来迎寺の三浦義明墓をお参り。少し街道を外れた。鎌倉街道に戻る。

 和田塚(和田義盛、三浦義明の孫、北条に負ける その一族の戦没地)をお参り。源氏一族は、次から次へ、同族の殺し合いの連続だ。息が詰まる。

 六地蔵お参り。刑場の跡だそうです。「六地蔵」と言う狂言がある。奈良でも、六地蔵を見た。昔から信仰の対象だったようです。

 由比ガ浜大通を歩く。大仏、長谷寺への道。人通りが多い。

 「盛久の首塚」が通りに面した狭い場所にあった。能「盛久」は、源氏に捕まり、鎌倉で処刑されようとした時、清水観音の功徳で、助かる内容。首塚のは?、の感じ。

 足達盛長邸址の碑を見て、大仏、長谷寺は行かず南下。由比ガ浜の稲瀬川(みなのせかわ、美奈の瀬川)の河口へ。

 万葉集に鎌倉の地名が詠まれているのは、2首あるそうです。万葉の時代に、すでに鎌倉が詠まれている事は、何か特徴のある土地だったと思う。 古くから、何か知らないが、人の集まる要素のある土地。

 「鎌倉のみこしの崎のいはくえの君が区湯べき心はもたじ(14−3365)」「まかなしみさ寝にわはゆく鎌倉のみなのせ河に潮みつなむか(14−3366)」のみなのせ河。

 いとしく思ってあなたの所へ寝に行く。途中のみなのせ河には潮が満ちているだろうか。

 2,3m幅の小さい川だった。昔は、堤防もなく満ちれば、渡れるか心配するほど、幅広となったのだろう。

 しばらく湘南の海を見て歩く。再び街道に戻り、「星の井」を見て、極楽寺坂切通し、成就院をお参り。アジサイが盛りだった。

 極楽寺をお参り。予定の6割であるが、今日はこれで打ち切りとする。

 江ノ電極楽寺駅で電車に乗り、江ノ島を左に見ながら、藤沢に出た。

本日歩いた概要図

 

 

以    上        TOPへ戻る