39 鎌倉古道 太郎坊 船岡山 石塔寺  滋賀

19 km   2003/05/24

鎌倉街道へ 


 

 「吾妻鏡」に、頼朝上洛の帰途、小脇宿(八日市市小脇町)に泊まったと言う記述があるので、鎌倉街道本道から外れるが、八日市周辺を電車で移動しながら、歩いてきた。

 近江鉄道の電車は、土曜、休日の1日550円の「S・Sフリーきっぷ」があり、これを利用した。今日の運賃を比較すると、1/4以下で済んだ。又、JR東海でも「青空フリーパス」があり、こちらも約半分で済んだ。

 近江鉄道太郎坊駅から歩いて、太郎坊へ。駅近くから真北に真っ直ぐな1kmほどの長い田圃の中の参道があった。 農家の集落と田圃ばかりだが、このあたりが小脇。

 「古宮の長き参道一人行く田水眩しき蒲生野の里」

 

 太郎坊宮、阿賀神社は、標高350mの赤神山の中腹にある、鞍馬山の次郎坊の兄、太郎坊天狗が守ると言われ、勝運授福の神様との事。 階段を上る。途中、お城のように見えた建物は、宿坊だった。又、便所も沢山あり、相当の参拝者、信奉者があるようだ。今日は5,6人の参拝者に会った。

  本殿の前には多くの巨石がある。大きな左右の大岩の間に、人1人通れる隙間がある。悪い心の持ち主は、通ると挟まれるそうだ。この岩がご神体との事。「夫婦岩」と言う。

 本堂は小さなお堂だった。山が岩だらけで、平たい場所が少ない。 清水の舞台を小さくしたような舞台があり、本堂前の空間を確保している。岩を神様としている、古い神社のようだ。

 駅1つ、電車で移動。市辺(いちのべ)駅から国道を越え、麓の神社をお参りして、山道を登る。頂上に万葉歌碑があった。

  「茜さす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」  額田王
  「紫のにほえる妹を憎くあらば 人妻故に我恋めやも」   大海人皇子

が、万葉仮名で刻んであった。「紫野行き」はむらさきの咲いている野原、「標野行き」は、入る事を禁じられた場所を言う。

雑歌にあるので、宴席の戯れ歌と説明があった。そうだとしても、本当の気持ちを詠ったが、戯れ歌にしたと思いたい。額田王の年齢も問題らしい。

 大判のレリーフがあった。

 また、万葉の花を植えた植物園があり、「あかね」、「むらさき」を撮ってきた。咲いた花を撮らないと判らない。咲いた時撮ろう。

 最近の歌碑が何年か分あり、好みの歌を1つ撮ってきた。

   平成6年度蒲生野短歌会 蒲生野大賞

      「傾ける農小屋の軒に烏瓜 熟れて蒲生野秋深みゆく」 彦根市 清水はる氏

 このような歌が詠めるといいなあ、と思う。ここでは、誰とも会わなかった。

 蒲生町の石塔寺へ。近江鉄道桜川駅で降りたが、何の案内もない。

 しようがないから歩こうと思い歩きだしたら、喫茶店があった。パンでも買おうと思っていた所だったので大助かり。遅い昼食に飛び込む。

 喫茶店の奥さんに、石塔寺を尋ねると、30分ぐらいかかるらしい。歩く事にした。

 駅で貰ってきたパンフレットの地図を頼りに歩き始める。お寺に近づくと、案内看板も出始め、30分程で到着。

 拝観料を払い、階段を見上げた時、どこかで見た景色だ。と思った。途端に思い出した。昔尋ねた事のあるお寺さんだ。本堂を後回しに、石仏をと思い、階段を登る。

 石仏を見て、以前1度来ていること再確認。

 石塔寺の阿育王(あしょかおう)宝塔。

八万四千石仏石塔である。八万体あるかどうか判らないが、膨大な数だ。また、宝塔もバランスのとれた奈良前期の物で、百済からの渡来人の物との事。

 本堂をお参り。黒板に宝塔の形等について説明してあった。

 本日歩いた概要図

 

 
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