30 鎌倉古道 大吉寺 東勝禅寺 正願寺 六角堂 日吉神社 妙長寺 阿弥陀寺 円通寺 広幡寺 住吉社 金龍寺 赤池 子生和橋 三十八所社   愛知

18 km   2003/01/17

鎌倉街道へ


 

 名鉄新清洲から歩き始め。大吉寺をお参り。足利将軍義教が、富士山への途中、この寺にお参りした記録があるとの事。

 北上して名鉄本線を越え、東名阪の手前の庚申寺、東勝禅寺、八幡社、正願寺をお参り。4寺の写真

 なお北上し、新幹線を越え、JR清洲駅の北で、JRの東へ出て、六角堂のある長光寺をお参り。長光寺は、足利尊氏によって復興され、地蔵堂(形が六角で六角堂)は尾張6地蔵の1番札所だ。

 お参りを済ますと、同年配のおじさんから声が掛かった。鎌倉街道を歩いてる、と言ったら、案内してやると先に立って歩き出した。世間話をしながら、清須代官所を見に行った。

 お寺の東に北上する古道がある。美濃路だ。

 美濃路の東に、五条川があり、それが村境。向こうに代官所。こちらに六角堂。境に、昔からある役所橋があった。

 再び、長光寺に戻る。門前の美濃路に、右岐阜、左京都の碑があった。追分にあった物だろう。

 境内の奥の方にある、臥松水(がしょうすい)に案内してくれた。信長が好んだ井戸水だった。埋まった井戸と石碑があった。ここは案内がないと行けない場所。

 お寺の南に、秀吉のねねさんの実家筋の浅野長勝屋敷跡の碑。今は住宅地。

 六角堂の西に、北上する細い道があり、少し北の四ツ家追分に至っている。昔から、鎌倉街道、小栗街道と言っているとの事。

 立ち話していると、3人ほど集まって来て、あれこれ教えてくれる。役場へ行けば、相当な史料があるなと思う。お礼を言って別れた。

 四ツ家追分。鎌倉街道は北上。西に美濃路、京に至る道。

 日吉神社、妙長寺、入り口に、24輩の碑のある阿弥陀寺、円通寺、円光寺、「人生の真の富は人に施した善行である。すべての人間は他人に中に鏡を持っている」の 和尚さんの手になる看板のあった広幡寺。お参りする。 6寺社の写真

 下津住吉町の住吉社お参り。この西隣に鎌倉街道の立派な石碑があった。稲沢市教育委員会のものだった。

下津小学校の前には、下津城趾の碑があった。今は畑。

 赤池町に入ると、赤池一里塚の碑があり。岐阜街道の一里塚であるが、十六夜日記に「20日、尾張の国、おりとという駅をゆく」とある、おりとが下津(おりつ)の別名らしい。鎌倉街道である。

 諏訪神社、八剣神社、西岸寺、お参り。 3寺社の写真

 赤池古蹟の立派な碑があった。漢文で読めなかったが、鎌倉街道の文字は入っていた。赤池という地名は、昔から周囲が泥田で蓮が咲いた地に多い名前とのこと。また、この付近は鎌倉街道時代の休憩所的な場所とも言われている。

  名神高速とJR東海道線の交わる辺りに、子成和橋がある。橋の表示している名は子成和橋。傍にある碑文には、河曲橋とあった。

 この橋は、稲沢市と一宮市の間を流れる宮田用水の橋。稲沢市側の地名は子生和(こうわ)町。少し上流が古来あった子生和橋があったといわれている。地名の由来は、照手姫がこの地で安産したという伝承に因むとのことである由。

 三十八所社、日吉神社、をお参り。

本日の歩いた概要図

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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