12 清水 北街道 高源寺 高橋宿 梶原堂 浅間神社  静岡

20 km  2002/05/26

鎌倉街道へ


 

 清見寺を経て少し行くと、清水の街中で、近世東海道から分かれて、北街道に入る。

 矢倉町の矢倉神社をお参り。景行天皇、日本武尊親子が祭られていた。境内には、日本武尊の像が立っていた。

 静岡は、出雲系の神社が多い。それらが叛いたので、日本武尊が、父景行天皇に言われて征伐に出てきた。近くに焼津、草薙の地名がある。手こずったようだ。

 高橋2丁目に高源寺。境内に梶原景時一族の供養碑があった。

 かの有名な話、景時の讒言によって頼朝、義経の仲が悪くなった、の梶原景時である。頼朝の死後は、頼家の忌諱に触れ西国に逃げ出したが、この地で地元の豪族に襲われて、一族33人諸共、殺された。

 高源寺に、”浩宮徳仁親王殿下お成り記念”の看板があり。 いろいろな所へ、行って見えるんだな!

 鳥坂に梶原堂があり。北街道に案内の新しい石碑が立っていた。梶原堂は、街道から少し入った所にあった。きわには五輪塔などもあり、地元の人達が面倒を見ていてくれている。

 静岡の町に入る。お城の北に、浅間(せんげん)神社。

 赤い大きな鳥居を潜った所に、山田長政屋敷跡があった。江戸時代の初期に、タイに渡り日本人町の頭領になり、かの国で重んじられた人。

 3つの神社があった。神部神社、浅間神社、大歳御祖神社である。大国主命、木花之開耶姫(このはなさくやひめ)など出雲の神様である。

 叛いた連中の神様が、今残っている事は、時の政権が寛容だったのだろうか。寛容にしないと収まらなかったのかな、などと思った。

本日歩いた概要図

 

 

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