29 鎌倉古道 小栗橋 善行寺 中村天神社 大観荘 油江天神 妙行寺 東宿神明社 月の宮神社 宝泉寺 実成寺 萱津神社 土田神明社   愛知

21 km   2003/01/13

鎌倉街道へ


 

  名鉄名古屋球場前から、西にとる。街道沿い、小栗橋の手前に、バイオリン製作で有名な鈴木バイオリンの工場があった。

 中川運河に掛かる小栗橋を越えて、小栗町(現在の月島町)の細い道を行く。愛知小学校、アパートの建つ豊成団地の南の道の突き当たりに、神明社(熊野社の石碑もあり)、善行寺あり。

 善行寺境内に、徳左川の説明。北一色村周辺は水はけが悪く、農民が難儀するのを見て、安井徳左衛門は私財をなげうって排水路を開いた。村人は、この水路を徳左川、橋を徳左橋 と言って徳を讃えた。安井源左衛門は善行寺の檀家であり、神明社の境内には、顕徳碑があり、昔の橋の石柱も保存されている。確認し損ないました。

 黄金橋陸橋を 渡り、名古屋高速、JR操車場、近鉄を横断、北に向かう。黄金中学校を通り、太閤通りを横断、中村天神社お参り。天神社の西の細道の方が、鎌倉街道らしかった。この一角は、 以前、中村遊郭だった。

 中村遊郭の、昔ながらの風情を残す木造総二階、桟瓦葺の閑静で、美しい庭を巡らし た、日本風の落ち着きのあるたたずまいの、 旅館「大観荘」を見る。近々、廃業するとの事。(2002年末で廃業)

 油江( あぶら)天神社お参り。名古屋駅前、堀川(名古屋城から、海に出る運河)の際に、泥江(ひじえ)と言う地名があり、泥江神社も在るとの事。

 この辺りは、自然堤防が所々にあり、その他は、木曽3川の氾濫地、水はけの悪い土地だった。今、これら町を見ても想像も出来ない。

 鎌倉街道は、水の制御が出来なかったので、自然堤防沿いに道が出来ていたんだと思う。

 中村公園の一角に、妙行寺があり、お参りする。加藤清正の生まれた地で境内に 誕生地の石碑があった。

 また、このお寺の北には、常泉寺があり、豊太閤御誕地の石碑、北政所の甥の木下長嘯子(ちょうしょうし)宅跡の看板があった。

 中村公園には、豊国神社があり、秀吉の生誕地と言われているが、少し南の、下中村町1丁目の正賢寺、日吉公園の日の宮神社等とも言われている。家康が、秀吉の史料を捨てたとも言われている。

 中村公園の中に は、小出秀政邸跡の石碑があった。これら英雄の生誕地を歩いてみると、秀吉は、貧農の出ではなく、金持ちの百姓、武家の出、だった可能性が強いと感じる。 戦国時代は、庶民の時代だった。

 TVの「武蔵」で、お通が着物のままで寝たり、戦死者の武器などかすめ取る百姓、女子供が手を繋がれ売られていくものがあった。その通りと思う。最近、漸く、何でも綺麗に仕上げる事が無くなり、TVも真面目に見られるようになった。

 東宿神明社お参り。ここは、萱津の東宿(かやつのひがししゅく)だった。庄内川を挟み、萱津宿の出郷として、京より美濃を経て鎌倉に至る交通の要衝だった。又、盛んに市が立ったようだ。

 庄内川、新川、五条川に掛かる豊公橋を渡り、萱津 へ。

 月の宮社お参りする。築きの神、堤防を守る神とのこと。今は、小さな社。

 萱津の宿の3m程の昔からの細い道を北上する。鎌倉街道の案内看板も掲げてある。

 

 実泉寺、実成寺、円行寺には四国のお寺にもあったように、主のない石仏、お墓の集団があった。正善寺、光明寺、妙勝寺、妙教寺、正法寺、のお寺あり、お参りする。8寺の写真

 萱津神社お参り。我が国唯一の漬け物の神様だ。茅葺きの香の物殿があり、漬け物祖神「鹿屋野比売(かぬやひめ)」の像あり。

 名鉄津島線を横断して、甚目寺町西今宿。金山神社と宝満寺をお参り。金山神社は鍛冶屋の神様。

 清洲町上条(じょうじょう)の稲荷神社お参り。

 清洲町土田の土田神明社お参り。

 土田八幡宮には、「頼朝がこの土田で眼病になり、名医の治療を受けて直った。この時竹林の中に白鷹が居るのを見て、霊験を受け、石清水八幡宮を勧請した」との由緒書だあるそうだ。

本日の歩いた概要図

 

 

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