6 小田原 板橋 酒匂神社 居神神社 板橋地蔵尊 松永記念館 妙覚寺 紹太寺 湯本

22 km     2002/01/05

鎌倉街道へ


 

 国府津駅から歩き始める。国府津の天神さん「菅原神社」をお参り。境内に「曽我兄弟の隠れ石」があった。

 兄弟の父の仇、工藤祐経が鎌倉に向かう時、この大石に隠れて襲う機会を狙っていたが、警護が厳しく、涙を呑んで見送った。と説明あり。

 酒匂神社。一名駒形社いい、頼朝の馬を献上した寺社の一つだそうです、古い神社。

 法船寺。日蓮宗のお寺。「酒匂川の氾濫があり、日蓮上人が・・・」の説明がありました。

 これらは、酒匂川の近くであるのに、洪水時でも、水に浸からない場所だっただなと思う。堤防も自然堤防のみで、好き放題に流れたのだろうが、水深はそう深くならなかったと思った。鎌倉時代の酒匂宿は、山が迫った東の前川辺りであったらしい。

 十六夜日記に「まりこ川(酒匂川)といふ川を、いと暗くてたどり渡る。こよいは酒匂といふ所にとどまる。あすは鎌倉へ入るべしといふなり」とある。

 小田原市街地に入る。江戸時代の町名などの説明あり。旧東海道とほぼ同じ。蒲鉾屋が多い。小田原城を右に見て、先へ行く。

 早川口。早川の口。 板橋村の鎮守、居神神社あり。鎌倉末期の念仏供養の碑と言う、五輪塔、板碑の古碑5基あり。

 松永記念館を拝見する。電力の鬼と言われた、松永安左エ門が晩年住んだ所。 寄付を受け、今は市の物とのこと。

 その住居、老欅荘(ろうきょそう)に上がると、10畳の広間あり。3畳の畳敷きの床の間、畳敷きの縁廊下付き。すっかり気に入ってしまった。しばらく、座って拝見。外観も良い建物ですが、内部もすばらしい 建物である。

 このような建物は、私の経済力では、とても実現不可能と気付き、我に返り、おいとまする。

 作家、中河与一の展示あり、戦後、不遇だったことを知る。「天の夕顔」を読んでない、帰ったら、読んでみようと思う。

 板橋地蔵尊をお参り。かって、東海道を歩いた時、ここに立ち寄ったと思うが、全然思い出せなかった。

 風祭(かざまつり)、入生田(いりゅうだ)と言う土地の名があった。古い名前で古い書物にも、見えるようです。

 妙覚寺お参り。

 紹太寺。明治時代、火事に合い焼失、復旧はしなかったそうです。今は、御坊の1つが、紹太寺を名乗っている。徳川三代将軍家光の乳母春日局とその子の稲葉正勝の墓所が15分ほど登った山の上にあった。ここは平らな土地で本堂などがあったと説明が会った。

 湯本駅を過ぎ、温泉街を抜け、早川を右岸に渡った所に、「鎌倉古道湯坂道」の案内があった。これを確認した。

 箱根の山は、春になってから登ることにしよう。次は三島から歩こう。

本日歩いた概要図

 

 

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