36 鎌倉古道 鳥居本 小野小町塚 鳥籠山 高宮 愛知川 豊会館 びんてまりの館 滋賀 21 km 2003/05/01 |
近江鉄道鳥居本駅から歩く。 鳥居本の西外れに「右 彦根道 左中山道」の道標。彦根道は朝鮮通信使上洛の道との事。信長が安土城を築き、楽市楽座を開くと、中山道筋の鎌倉街道は裏街道になったと言う。 |
浅茅生の小野と言われた鎌倉街道の宿、歌に良く詠まれている。その西外れに、小さな祠あり。小野小町堂。 小野氏も外来の人達らしい。どこもかしこも日本の國は、外来人。昔、歴史の時間に教えて貰った歴史では、弥生人は、大陸から来た人と聞いていたが、いろいろの処から、日本に来て、住み着き、土地を開発し、持ってきた技術で、製鉄等を広めたと同時に、その土地の有力者となって行く。 教科書では、感じなかったが、日本の國は、外部からの移住者の國、混血の住民とつくづく思う。アイヌの人達を追い出し、縄文人が住み着き、弥生人がその上に、又住み着いた。 |
正法寺(しょうぼうじ)に入り、原八幡宮お参り。正法寺は字名のみになっているが、昔は大きな寺院だった。聖徳太子 に仕えた秦河勝(この人も帰化人)が作ったとの事。 雅楽の東儀秀樹さんの祖先は秦河勝と言って見える。多分本当だろう。 |
境内に、芭蕉の昼寝塚あり。 「昼顔に 昼寝せうもの 床の山」 弟子の祇川の白髪塚もあり。 「恥じながら 残す白髪や 秋の風」 |
芹川を渡った右に、旭森公園があるが、ここに、「床の山」の石碑があった。「とこのやま」は、鳥籠山(ちょうろうさん)、鳥籠山(ちょうりょうさん)、鞍掛山、大堀山とも言われ、確定できないで居るらしい。有名な草枕だった。 |
神社の名前を忘れてしまったが、地元の神社の境内に、扇塚があった。彦根藩は能楽が盛んであったので、面塚と共に建てられたが、今は扇塚のみとなった。 石碑には、「豊かなる時に扇の印とて ここにもきたの名を残しおく」 と書かれているようだ。 |
高宮神社お参り。 |
多賀神社の大鳥居を見て、高宮宿の本陣跡へ。 |
脇本陣跡には、「ふれあい館」が開いていて、お茶をご馳走になり、宿の説明を聞き、パンフレットを貰ってきた。 |
犬上川には、橋があって、無賃の橋だったとのこと。 「むちんはし」の石碑。ここも暴れ川。木造の橋だったが、中央部が土盛で水が出れば流れる仕組みになっていた。 |
阿自岐(あじき)神社の鳥居。この神社も渡来人の神社。 |
豊郷町に入る。小学校建て替えの新聞報道で有名になった豊郷町だ。プレハブの校舎で子供達が勉強していた。古い建物は、奥に見えるコンクリート造りの建物と思われた。 写真は忘れた。 |
春日神社、八幡社、お参り。 |
称名寺お参り。 |
丸紅、伊藤忠の伊藤忠兵衛の生家があったが、素通りする。病院の駐車場もこの人の寄付された物との説明があった。 |
近江商人、藤野喜兵衛の屋敷、又十屋敷を拝見。 |
愛知川宿では、びんてまり館を見学。瓶の中に、糸を巻いて作った手まりが入っている置物。特産品との事。 |
本日の歩いた概要図
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