9 三島 愛鷹 三島大社 伊豆国分寺 黄瀬川八幡 潮音寺 日枝神社 愛鷹神社 根方道  静岡

21 km     2002/01/13

鎌倉街道へ


 

 三島市観光協会のホームページで、鎌倉古道西坂のパンフレットの請求をしましたところ、西坂の「解説付き見取り図」と「水の町三島歴史の道」のパンフレットを送ってもらいました。

 春になったら、小田原側の「鎌倉古道湯坂道」とこの西坂を歩くつもりです。

 8:16 三島駅着。

 道路の間にある、大寺院愛染院の庭園だった「愛染の滝」、通気性のある穴の開いた溶岩と水の湧き出る滝を見ながら、楽寿園を横に見て少し南に下り、水辺の文学碑の道を三島大社へ向かう。すでに何度か通った道。朝早いので、実に静かだ。

 三島大社の西門から入る。この西門の真正面の細い西向きの道が、鎌倉古道である。江戸の東海道は、この道から、100mほど南の道である。

 まず、大社をお参り。ここへ来ると、すでに、参道に出店が出て、お参りの人達が、大勢来ていた。車の人達のようでした。

 沢山の川を越えるが、水がまことに綺麗である。すべて、湧き水らしい。源兵衛川

 伊豆国分寺塔の礎石の一部が残っている。

 清水町伏見の町を通り、現在の1号線に出た。

 柿田川に寄り道する。日量100万トンの湧水。富士山1700m辺りから、地面にしみこみ地中の溶岩が冷えて出来た通気性のある岩石の中を長い時間掛かり、下ってきた水である。

 自然の凄さ、雄大さを見せ付けられる。自然は、エネルギーの塊。自分など、ちっぽけな物、など考える。

 今日は、兎に角、歩きに来たのだから、歩かなければと思い、再び、東海道に戻り、八幡の「黄瀬川対面石」を目指す。八幡、長沢を抜け、黄瀬川を渡り、黄瀬川右岸の黄瀬川八幡神社に着く。

 ここで大間違いをしてしまった。対面石は、黄瀬川左岸の清水町八幡の八幡神社にあったのだ。今回は、尋ねることは諦めた。

 頼朝の挙兵を知って、奥州から馳せ上がった義経は、跡を追い、浮島原に陣を張った頼朝に追い付いた。頼朝は泣いて喜んだらしい。その対面の史跡である。

 沼津木瀬川の潮音禅寺に鶴亀の墓がある。

 黄瀬川宿は、黄瀬川右岸の沼津側にあったらしい。黄瀬川の流れも昔は、もっと西、潮音禅寺辺りだったらしい。

 黄瀬川宿の美女鶴亀は、工藤祐経に招待され大酒宴の最中に、曽我兄弟の仇討ちを聞き、入水してしまう。一説には、頼朝の横恋慕を拒んでの果てとの説もあるようです。

 日枝神社をお参り。古い神社。

 比叡山琵琶湖側に、今は日吉大社がある。日吉(ヒヨシ、ヒエ)は、山王(サンノウ)とも言い、古くから全国に広まった。

 根方街道(ネカタ)。愛鷹山際を通る古代からの道で、頼朝は、この道を通ったらしい。いまの浜側の道(江戸東海道)は13世紀以降のようです。(鎌倉室町までは、水に弱かったようです)

 沼津駅西のガードを潜り、北上。1号線に突き当たるところに、住宅地の中に小さな社、愛鷹神社がある。古い神社と思われる。

 愛鷹山は、牧場で、馬の供給地であったようです。

 沢田、椎路、鳥谷(とや)、青野、根古谷、井出、平沼、石川、船津、境など、古い地名のまま。この道を根方道という。今回は、ただ歩くのみであった。

 途中、頼朝の弟の作ったお寺、大泉寺があったが、すっかり忘れ、見落としてしまった。

 江の尾、船津、浮島等、水辺の名前である。現在は田圃であるが、浮島と言う名の湿地帯が広い範囲にあったようです。

 午後3時を過ぎたので、岳南鉄道、江の尾駅で電車に乗る。

本日歩いた概要図

 

 

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