6 耳成山 藤原京跡 檜隈女王歌碑 法然寺 畝傍山 橿原神宮   奈良

1997/06/07 作成 2003/07/31

低い山登り・峠越えへ


 

 大和三山の残り、耳成山、畝傍山に登りに出かけた。

 謡曲「三山」がある。

 近鉄耳成駅から歩く。緩やかに左回りする登山道があり、途中に、山口神社があった。
 10分もしない内に、標高140mの頂上。樹木が茂り、見渡せなかったが、「明治天皇大演習御統監之地」の石碑があった。死火山だそうだ。
 醍醐町を通り、持統天皇の時代に遷都した藤原京へ。平城京(奈良)への遷都の前、16年間都のあった所。
 南に下り、香具山の西の啼沢女(なきさわめ)神社(畝尾都多本(うねおつたもと)神社)の檜隈女王歌碑を尋ねた。

   「なき沢の 神社(もり)に神酒(みわ)すえ 祈れども わが大王は 高日知らしぬ」  檜隈女王

 この泣沢女の社に神酒を供えて快復を祈ったが、その甲斐もなく高市皇子は亡くなったと言う嘆きの歌。檜隈女王は良く判らない。

 浄土宗天香久山法然寺をお参り。法然上人が高野山に参詣の帰途、当地に足を留め、村人達の懇望を入れ、念仏往生の教えを説いた道場。
 橿原神宮参道から左に入り、畝傍山へ登った。標高199mの死火山。奈良盆地は、すっかり埋まってしまった土地で、高い山のみその頂上が、ぽつんと残っている。
 橿原神宮お参り。神武天皇が畝傍山の東南・橿原の地に宮を建て即位の礼を行った宮址に、明治に入ってから創建。神武天皇を祀る。
 

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