4 鳳来寺山 奥平仙千代の墓 鳳来寺   愛知

1997/08/15 作成 2003/07/31

低い山登り・峠越えへ


 

 JR飯田線本長篠駅からバスで鳳来寺バス停へ。仏法僧が鳴く事で名が知れている鳳来寺山に登 り、鳳来寺をお参りした。
 門前町だった門谷(もんだに) 集落の中の参道を行く。奥平仙千代の墓があり、お参り。

 奥三河の作手城の奥平氏、田峰城の菅沼氏、長篠城の菅沼氏は山家三方衆というが、奥平仙千代は、奥平貞能の次男として誕生しました。 山家三方衆の支配した地域は信濃・三河・遠江の要所で、分岐点であるため、 家の存続をはかるために常に強い者に従い、その都度、人質を送った。

 武田信玄が死んだ後、山家三方衆は家康に付いたため、武田に出ていた人質の仙千代は、ここ鳳来寺の地で殺された。2人の菅沼氏の人質も同様に殺されている。

 杉の巨木に囲まれた、表参道の1425段の石段に到着。
 2,3百段上がった所に、徳川家光が作った仁王門があった。國の重要文化財。
  仁王門の少し上に、「傘すぎ」と言う、樹齢800年の杉の巨木があった。
 鳳来寺本堂お参り。真言宗のお寺。文武天皇の勅命により利修(りしゅう)仙人が開山した。本尊は薬師如来、薬師信仰と山岳修験道の霊山として、信仰を集めた。

 利修仙人は、飛鳥時代、山城国に生まれ、役(えんの)行者の兄弟と言う。その後、千寿峰に移り住み、鳳来寺山山中にあった霊木7本杉の1本を切って、峰薬師如来を彫ったと言う。その後、百済に渡って仙術や仏教を学び鳳凰に乗って帰国し、鳳来寺山中に住み三匹の鬼神を自由自在に使っていた。利修仙人は309才で入寂された、と言う。

 本堂の裏に、鎮守社があった。
 時計回りで、鳳来寺の裏の鳳来寺山を回った。
 岩が露出し、鉄はしごのある道を行く。勝岳不動明王お参り。少し行くと「6本杉」、利修仙人が切った残りの6本の杉だ。 よく見ても、太い木は2,3本しかなかった。
 急坂を登り稜線に出ると奥の院。お参り。標高621mにある。
 10分ほど登ると山頂、三角点があった。標高684m。
 天狗岩、座女石・高座石、があった。それぞれ 言われがあるだろうが、調査不足にて不明。
 鷹打場展望台。絶壁の岩の上にある。 見晴らしはよい。

 東照宮へ寄るのを忘れた。

 鳳来寺山から湯谷(ゆや)へ下る、昔からの山道を行く。湯谷峠に行者越えの岩場があ った。難所だったと言う。
 谷川沿いとなり、道も良くなり、湯谷の町に降りた。温泉の風呂があったが、1時間ほど待つとの事で、入らずに引き上げた。
 

以    上  TOPへ戻る