2回目 第18番恩山寺から第23番薬王寺まで

1998/07/26〜1998/07/30

四国遍路八十八カ所へ  次へ  1999/03/31 作成


第1日目 1998/07/26

 

onzanyositune.JPG (16227 バイト) 前回、徳島駅へ行くために曲がった交差点が今回の出発点。先回、打ち止めした札所から打ち始める、が正式なやり方のようですが、少し、手抜きをすることにしました。 歩く道は、出来たら昔の人が歩いた遍路道を歩こうと、また、88カ所の札所は、すべてお参りしようと思っています。さあ、これから2回目の区切り打ちです。

 11時歩き始め。舗装道路を黙々と歩く。南小松島駅の「ドウゲツ」(地元の方から教えて貰った中華そば屋さん)はだいぶ、遠回りになるなあ、と思いながら、地蔵橋近くでラーメンの昼飯をとる。

 

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 梅雨明けを期待して来ましたが、時々、夕立のような雨。リュックのカバーを付け、ビニールの合羽。折り畳み傘をさし、再び歩き出す。途中、屋島の戦いの時の 義経上陸の地の碑をみて、18番恩山寺着。遍路さんが2,3人しか居ません。閑散として、寂しい感じです。

 立江寺へ向かう山道には、弦巻坂、弦張坂など、義経に関わるいわれのある坂がありました。歩く遍路さんは、全然見えない。

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 19番立江寺をお参り。宿泊を頼むが、”今日は、宿泊者が無かったので”と暗に断られた。だめ、とは言われなかった。大きい所は、人を雇い、泊めている。断りも当たり前と思う。近くの宿屋に泊まる。

 

 

 

第2日目 1998/07/27

 

 阿波の難所、「二にお鶴、三に太龍寺」が、今日の目標。5時に出発と思いましたが、朝飯は、たっぷり食べて、結局、7時出発となってしまった。

 宿屋で、1人、遍路さんに会いました。小さい宿屋でしたが、不思議と話をする機会がありませんでした。

 昼飯は山の中のため、鶴林寺登り口でパンとお茶缶を買い込む。もの凄い汗の量、1リットルの水筒もすぐ無くなる。よく水を飲む。いよいよ登り始める。途中で宿の遍路さんが追いつく。その途端、杖忘れたと坂道を戻っていった。よくよく話が出来ないお遍路さんです。

kakurinmizunomi.JPG (21367 バイト) みかん畑の道で、案内札が途絶え、迷ったことに気ずく。戻ってみると、遍路道の札はあるが、分かり難くい。判りやすいように直して、また登る。30分のロス。例の遍路さんは、迷わず先に行ったようだ。

 随分急な道である。息の切れないように、ゆっくり登るが、休まないと体が続かない。随分、体力が落ちたと思う。水呑大師にようやく着く。水をたっぷりと飲む。大師にお礼して、また登る。「一に焼山」よりも大変。やはり、5時出発だったかなと思う。暑い、えらい。

kakurinji.JPG (15514 バイト) 11時頃、20番鶴林寺に着く。立派な山門。本堂の両脇に鶴の像が立っていた。誰もいない。自動販売機もなし。本堂、大師堂をお参りして、納経帳記帳。頼めばお茶はもらえたと思うが止めた。昼食を取る。
 
 次は、太龍寺。500m下り、500m上がる。時々、夕立がある。凄い雨。5分待つと止む。また、歩く。大井の集落に着く。自動販売機を探すが、無い。しばらく行くと、例の遍路さんが休んでいる。 夕べの宿屋のこと、鶴林寺のこと、次の太龍寺のこと、など、ようやく話ができた。自動販売機を聞くと少し上がった所にあるとのこと。急ぎ、お茶缶を買いに行く。戻れば、もう、お遍路さんは、立った後だった。又、名前を聞き損なった。

 また、登る。が、ほとんどが川沿いの緩い林道で、少し助かりました。お寺へ着く直前が、少し急でしたが、鶴林寺さんより、楽だった。

 

tairyuuji.JPG (22111 バイト) 21番太龍寺。般若心経も21回目ですが、未だ、全部、覚えられません。本堂と大師堂の両方で唱えるのが決めのようですが、本堂だけにしてもらっています。ケーブルカーのあるお寺さんですが、お参りさんは、誰もいません。
 
 また、500m下り。急な舗装道で、ゆっくり下る。途中の駐車場で、自転車の若い人に会う。1日50kmは走るとのこと。お寺までどの位か聞かれる。登り30分、下り15分と教える。大分、疲れているようだ。がんばれと励まして分かれる。今日、2人目の遍路さん。

 また、長い、急な下り坂。ゆっくり、足を労って下る。黒河の民宿に泊まる。先の遍路さんが、洗濯をしていた。汗でびっしょり。早速、洗濯。洗濯と乾燥で200円。

 先回は、相部屋が多かったのに、ここでは、部屋は1人で使用。夕食時、泊は6人となっていた。自転車の若い人もいた。聞けば、太龍寺まで行って来たとのこと。さすが若い人と感心する。みんなで、わいわいと世間話をした。

 

第3日目 1998/07/28

 

 例の遍路さんとは、お札を用意しても渡し忘れたり、渡そうとした時お札を忘れたりで、どう言うわけか、名乗りあいが出来ません。今日は、宿泊場所が異なりそう。

 7時、出発。

byoudouji.JPG (18843 バイト) 舗装道路が半分、大根峠越えの山道が半分の12kmを3時間。22番平等寺に着く。本堂、大師堂にお参り、納経を済ませる。次の薬王寺への、昔からの歩く遍路道は、55号線か、海岸の通りか、聞いてみる。明解な回答無し。みなさん、55号線を行く、とのこと。昨夜の宿のおかみさんも曖昧であった。海岸通りは、途中で1泊が必要とのこと。

 水道水で、水をたっぷり補給。歩き始める。舗装道路連続20kmは初めて。海岸へ出る分岐点を見落とす。結局、55号線を行く。

 昼食の準備を忘れる。自販機はあるが、食堂はなし。水だけは、補給。ただ、歩くだけ。暇なのに、考えることができない。しかし、暇で困ることはない。日が照りだした。足は少し、張り出したが、大丈夫。

 星越で食堂を見つける。ようやく昼食にありつける。やれやれである。例のお遍路さんは食事が終わったところでした。また、名乗りを忘れる。今夜の宿を予約する。

 みなさん、何を考えて歩いているのかな、と思う。決まった時間が経つと、必ず、目的地に着く。その代わり、その間、足を動かさなければならない。これが修行かなと思う。何か、不思議な気がする。

 

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 23番薬王寺に着く。振り向くと、例のお遍路さんがくるではないか。聞けば、足が痛く、川で足を冷やしていたとのこと。 宿を聞くと、まだ決めてないとのこと。私は、昼飯の時、薬師会館を予約した。今夜は別になりそうだ。

 宿には、お遍路さんが沢山、20人以上いた。車の人のようです。歩きの人も何人か居ました。どこから来たのかな、と思う。

 サラリーマンを止めて坊さんになったと言うお遍路さんから、橋本食堂の善人宿のことを聞く。無料でお遍路を泊めているそうです。食堂の主人は、よく出来た人だ、と誉めていました。

 

第4日目 1998/07/29

 

 昨夜は8時から、朝4時頃まで、ぐっすり眠る。目覚めもよい。昨日まで、旨く歩けた。予定より、捗っている。室戸まで行けそうだ。頑張ろう。

 2人連れの遍路さんが居たが、朝食時、居なかった。朝早く立ったのかな?

 7時出発。橋本食堂を見ながら55号線を行く。途中で、旧来の遍路道は55号線でなく、川沿いの道と気付く。考えることが、少しずつ、遅れ出した。今日の目標地も未定。地図を見ても決まらず、とにかく歩くこととした。

 例の遍路さんに追い抜かれる。薬師会館は断られ、民宿に。朝食は7時だった。昨日の足の痛みが消えて、今日は歩けるとのこと。お先にと、スピードを上げる。もう、会えないだろう。また、名乗りを忘れた。

 11時、牟岐駅に着く。昨日よりスピードダウン。駅前の食堂に入る。おかみが杖を洗ってくれた。食堂での泊の遍路さんは、今朝5時出発した。自分も8月に入ったら、遍路に出る。など話してくれた。 室戸行きのバスが無い理由を聞く。甲浦で高知のバスに乗り継ぎとのこと。納得。 12時。出がけに、オレンジを貰う。お礼して出発。

 懐が寂しくなったので、牟岐郵便局で、お金をおろす。

 午後の歩きは、ペースが落ち、休憩が増え出す。足が痛み始める。ますます、スピードを落とす。折り畳み傘が、良い日除けとなる。オレンジがうまい。鯖大師お参りも省略。

 海南町の入口で、旧道へ入り損なう。承知していたのに、気ずくのが遅れた。海南駅で宿に電話。海部駅前に泊まることとする。5時、28km歩いた。疲れた割には距離が少ない。

 マメは、昨日は指だけだったのに、両足とも、裏にも出来た。洗濯し、風呂に入る。風呂後、治療。丁寧に扱ったのに、1カ所、皮が剥けてしまった。 歩くと、猛烈に痛い。食事して、直ぐ寝る。

 

第5日目 1998/07/30

 

 起きてみると、足の痛さが大分引いている。今日は、歩けると思えた。宿のおかみさんは、大師さんのおかげで、良くなるのだ。と言ってました。マメをテーピングして、8月1日には室戸岬と、勇んで、7時、出発。

 歩き出すと、痛みが増す。皮の剥けた指が酷いようだ。日差しが強い。コウモリをさす。休憩が多くなる。宍喰の旧道に入り損なう。宍喰の道の駅で休憩。便所に寄る。

 変な話ですが、寝ること、食べること、排泄すること、が、必ず必要です。前の2つは、特に注意しなくとも、間違い無しですが、排泄することは、体調を見て、腹の調子を見て、量、質を見て、の管理が必要です。なかなか難しい仕事です。

 遍路道は、まだ、便所が少なく、もう少し、増えると良いのですが。道の駅が少しずつ増えているようです。

 足の痛みと暑さにまいって、甲浦大橋のたもとで、休んでいると、喫茶店のおかみさんが、冷たいおしぼりと冷たい水を持ってきてくれた。よほど草臥れているように見えたようです。

 いろいろな遍路さんの話をしてくれました。いつも、お接待してくれてるようだ。本当に有り難い事だ。自分の代わりに遍路して貰うと、本気で思う気にならないと出来ないのではないかと思う。 お礼を言って、出発。

 甲浦の駅の標識が見えてきた。10時過ぎ。今日は、いつもの半分のスピードだ。これから先は鉄道はなし。室戸岬まで40km以上の難所。さあ、どうしよう!、駅への交差点まで歩きながら考えた。

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 駅へ曲がる。室戸は次にしよう。今から帰れば、今夜9時には、帰ることが出来そうだ。甲浦の駅の売店の売り子さんが、暑いお茶を持ってきてくれる。旨かった。甲浦から海部まで、第3セクターの鉄道。切符を買って、ジーゼルカーを待つ。(どこかで、電車と書いてしまいましたが、ジーゼルカーが正解です。)
 
 昨日1日に負けた。暑い事も響いたようだ。また、来られる。今日は帰ろう。ベンチで、足を延ばして休む。

 若いグループが室戸行きのバスを待っていた。バスが来て、静かになった。

覚え書き

 家の宗派は、日蓮宗です。何かと引っかかるのが、禅宗と真宗ですが、無宗教です。昨日、本屋で、立ち読みしていましたら、司馬遼太郎の「空海の風景」を見つけ、買ってしまいました。

 歩くと、土地の名前を覚えます。今回は、牟岐(むぎ)、甲浦(かんのうら)を覚えました。

 四国の海がきれい、見飽きない。東海道を歩いた時、富士山を6日位、じっくり見て歩きました。実に美しかった事を思い出した。

 私の遍路姿ですが、杖、白衣(半袖の上着のみ)、リュックと肩掛けバック(さんや袋の代わり)(重さ、合計10kg位)、後は、軽登山のスタイル(帽子、歩き用靴、厚手の靴下、ズボン)です。
 
 足は、今までの経験を生かした、既製品ですがマメの出来にくい靴、靴下のつもりでしたが、今回は1日でさんざんの目に遭いました。

 次はお盆休みと思っていましたが、休みの都合が付きません。次は、9月に予定します。勤め人のため、休みを取るのが、大変です。いまから、休暇取りの下工作を手がけています。

1999年11月27日 マメについて

 マメはすっかり克服しました。少しは出来るが、夜、風呂に入った後、水を抜いて薬を付けて一晩寝ると痛みは少し残るが、3日目には、痛みは取れ乾き始める。

 靴をゆるめに履く。紐をゆるめなくても靴が履ける位の硬さに締める。靴下は少し厚めを2枚。足の指が自在に動ける位にしめる。

 枯葉などが入り、少しでも足に引っかかる感じがしたら、すぐ脱ぎ、ほんの少しの突起も取り外す。

 

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